授業運営において、教師が学生との信頼関係を築く最大の鍵は「好意」です。規則や校則、叱責や賞賛では、学生の自律的な協力を引き出すことは難しいのです。しかし、好意を得るには繊細な努力と対応が求められます。
なぜ学生に嫌われるのか
授業で重要なのは、学生が求める学びをきちんと提供することです。例えば、次のような場面でその差が生じます。
– 学生:「おいしそうです」と「おいしいようです」は同じですか?
– 教師A:う、うーん、同じじゃない?
– 教師B:それは〇〇という違いがあります。
学生は教師Aの「一瞬の戸惑い」から理解力や信頼度を測ります。さらに回答に曖昧さがあれば、別の教師へ質問を持ちかけるのです。
とくに初級クラスでは、経験の浅い教師を充てることが多く、やや高度な質問に苦戦することもあるでしょう。その場合、適当な返答は避け、「明日、必ず答えを持ってきます」と誠実に伝える方が、信頼に繋がります。
また、学生の属性を無視した授業(にぎやかな雰囲気のクラスで記述問題ばかりやるなど)は逆効果です。学生の文化的背景や雰囲気を理解した上で柔軟に対応する力が求められます。

「叱る権利」の本質
教師が学生を叱るには、まず自らが模範を示している必要があります。
たとえば授業に遅れてくる教師の「遅刻しないでください」という叱責は説得力に欠けます。同様に、提出期限を守らない教師が学生の期限違反を厳しく指導すれば、理不尽さを生みます。
「ただ教科書を読むだけで何の工夫もない授業」なのに注意は一人前という状態では、学生は心を閉ざします。まずは教師が高い授業品質を維持し、自らが規範を示すことで、注意や叱責が成立する「権利」が生まれるのです。



ですので、「叱る権利」は正確には「叱るための権利」と呼んだ方がいいかもしれません。
好意を得るための具体策
こんな先生がいます。
「私はあまり叱らない。だって学生に嫌われるから」
「叱る=嫌われる」というわけではありません。
嫌われるのは、叱責が理不尽であったり、理由も示さず一方的に怒鳴るような対応です。
多様な文化背景を持つ学生に対応する日本語教師は、ルールだけで済ませず、納得できる理由をしっかり言語化する必要があります。
学生の質問に誠実に答え、学生それぞれに興味を持ち、、教師自身の情報を開示する──これらを積み重ねていくことで、教師への好意は徐々に形成されていきます。ばなりません。
好意を持たれた場合の効果
学生に「この先生に嫌われたくない」と思わせられれば、授業妨害は自然と減少します。行動の抑制理由が「ルールだから」ではなく「先生が好きだから」になることで、教室は穏やかで協力的な空間になります。
「スマホを使うと先生が悲しむからやめよう」
「私語をすると授業の流れが止まるからやめよう」
「寝てしまうと失礼になるからやめよう」
こうした動機の変化が、良好な授業環境を生むのです。
まとめ
- まず教師自身が誠実な授業運営に努める
- 「叱る権利」は信頼と実践を通して獲得するもの
- 好意が生まれることで、授業が協働的かつ円滑になる
これらの原則は、日本語教育に限らず、国内のあらゆる教育現場(小・中・高・大学、塾)にも共通する実践的な知恵です。

コメント
…とても身にしみました。
そして、授業案に煮詰まったとき、ほんとに大変お世話になっています。
どうもありがとうございます。
このサイトが有料でもいいのに!と常々思ってます。
ありがとうございます。そう言っていただけると励みなります。
私も有料でいいのに!と思ってます(笑)。是非これからも当サイトをご活用ください。