「あ、りんご飴が売ってるよ!」は正しいのか

「あ、りんご飴が売ってるよ!」
「本屋に行ったら最新刊が売ってたから買っちゃった」

これらの文を見て、どう感じましたか。なんか変だな、と思いますか。それとも全く違和感がないでしょうか。

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「~が売っている」は正しいのか

結論から申し上げると、「あ、りんご飴が売ってるよ!」は文法的には正しくありません

  • りんご飴を売ってる(売っている)
  • りんご飴が売られてる(売られている)

のどちらかが正用です。

「売る」は他動詞ですから、「目的語+を+売る」の形で使わなければなりません。「~が売られている」は受身動詞「売られる」を使った言い方で、「~を売っている」より客観的な表現になります。なお、「売ってる」は「売っている」のイ抜き言葉で、ここでは問題にしません。

他動詞文の場合「が」は主語を表しますから、「りんご飴が売ってる」だと、まるでりんご飴が生きていて何かを売っているような文になってしまいます。

少しわかりにくい場合は、「~て(い)る」を外してみましょう。

  • りんご飴を売る
  • りんご飴が売られる

これらは何も問題がないですが、

  • りんご飴が売る

これは明らかにおかしいですね。

しかし、「~が売ってる」は実際によく見聞きします。例えば、X(Twitter)で検索してみると、

  • 電機屋でもライセンス売ってる
  • フランスだと骨付き鶏もも肉売ってる
  • レジンで指輪作れる売ってる
  • 自販機で炭酸水売ってる
  • ハリーポッターグッズ売ってるお店で買った

などなど、次々と出てきます。

では、なぜ文法的には正しくない「~が売っている」が広く使われているのでしょうか。

助詞「が」とは

なぜ「~が売っている」が使われているのかを考える前に、「が」について整理しておきます。

まず、ここで問題にするのは格助詞「が」で、文の主語を表します。

  • 雨が降る。
  • 私が行く。
  • 子どもが本を読む。

これらの文は、「雨は降る」「私は行く」「子どもは本を読む」と、主語を「は」で言うこともできます。これについては、「は」の機能の話にもなってくるので詳しくは割愛しますが、簡単に言うと「が」を使う場合は「が」の前に来る名詞が伝えたい、強調したい情報である、という特徴があります。(反対に、「は」は後ろに伝えたい情報が来ます。)

  • 高橋さんが1時に来る。←「高橋さん」が重要
  • 高橋さんは1時に来る。←「1時に」が重要

これが分かりにくい場合は、疑問詞について考えればよいでしょう。

  • 誰が1時に来ますか。
  • 高橋さんは何時に来ますか。

疑問詞は情報を聞き出すために使うものですから、当然疑問詞の部分が伝えたい、強調したい情報であり、それが前に来る場合は「が」を使うことになります。

ほかにも、以下の場合は「が」を使います。

  • 発見の対象:あ、鳥が空を飛んでいる。/どこかで子どもが歌っている。
  • 聞き手にとっての新情報:昔々あるところにおじいさんとおばあさんが住んでいました。

また、複文における従属節の主語は必ず「が」になります。

  • 私は子どもが書いた絵を見た。
  • 彼が嘘をついているのは明白だ。

さらに、特定の条件下においては、対象を「が」で表します。(いわゆる「ハガ構文」)

  • あるものの一部分:この部屋は窓が大きい。
  • 感情や能力などの対象:私は車が欲しい/車が好きだ/スポーツが得意だ/空手ができる/etc.。
  • 所有物:田中さんは英語力がある/家がある/お金がない/etc.。

助詞についてもっと知りたい場合は、以下の記事などを参考にしてみてください。

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「~が売っている」の考察

さて、話を戻して、「~が売っている」がなぜ使われているのかを考えていきたいと思います。

可能性①:自他動詞の混同

上述の通り、「売る」は他動詞ですが、これを自動詞と混同して「~が売ってる」と言っている可能性があります。

動詞は基本自動詞か他動詞かに分かれていますが、たまに自他両方で使える動詞があります。例えば

  • 吹く:風が吹く/笛を吹く
  • 訪れる:春が訪れる/京都を訪れる

などがこれにあたります。これらのように、「売る」も同じようなものと考え、「~が売ってる」と言っているのでは、と考えることができます。

しかし、「~が売る」とは言えず、「~が売っている」の状態でしか見られないことを考えると、この可能性は低そうです。

可能性②:「~てある」との混同

次に、「~てある」との混同の可能性を考えてみます。

他動詞は、「~てある」をつけることで「わざわざその状態にする」といった意味を持たせることができます。このとき、動作がおよぶ対象は「が」で示されます。例えば

  • ビールを冷やす→ビールが冷やしてある
  • 窓を開ける→窓が開けてある

などです。この「~てある」が「~ている」と混同され、「~が売っている」という表現が生まれたのではないか、という可能性が考えられます。

しかし、そもそも「~が売ってある」というのは少々奇妙な言い方です。この「~てある」には、「わざわざ誰かがその動作を起こしてその状態がキープしてある」ことを表現するものですが、「売る」には「冷やすか冷やさないか」「開けるか開けないか」のような「わざわざどちらかの状態にする」というイメージがあまりありません。

したがって、「~てある」との混同、という可能性も低そうです。

可能性③:強調や発見、新情報の「が」

次に、「強調や発見、新情報の『が』ではないか」という可能性について考えてみます。

上述の通り、日本語には強調したい情報について「が」を使う、というルールがあります。

  • 高橋さんが1時に来る。
  • 私が行く。

また、発見した対象物にたいして「が」を使う、というルールもあります。

  • あ、鳥が空を飛んでいる。
  • どこかで子どもが歌っている。

さらに、聞き手にとっての新情報についても「が」を使います

  • 昔々あるところにおじいさんとおばあさんが住んでいました。

このことから、「りんご飴が売ってる」については「りんご飴」を強調したい、または発見した、または聞き手にとって新情報であったがために、「が」を使ったと考えられなくもないです。

しかし、「売ってる」以外の他動詞、例えば「食べてる」において、いくらお祭りで友達がりんご飴を食べているのを発見したり、それを強調したり、新情報として伝えたりしようと思っても、「りんご飴が食べている」とはなりません。

強調等のために「が」を使った、という可能性もありますが、なぜ「売ってる」にだけこのような現象が起きるのかは依然不明です。

可能性④:存在ととらえている

次に、「売っている」を「存在している」ととらえている可能性について考えたいと思います。

「存在」については「ある」や「いる」などがあり、その存在物については「~が」で表します。

  • あそこにコンビニがある。
  • 机の下に猫がいる。

そして、「何かが売られている」というのは、「売られているものがそこに存在している」状態に非常に近いです。それは、「~が売ってる」を「~がある」と言い換えても意味が通ることからもわかります。

  • あ、りんご飴が売ってるよ!→りんご飴があるよ!
  • 本屋に行ったら最新刊が売ってたから買っちゃった→最新刊があったから

このように、売られているものについて「そこに存在している」と考え、「~がある」と同じ要領で「~が売ってる」と言っている可能性は十分にありそうです。

「ケーキはどこに売ってるの?」

「売っている」を「存在している」ととらえている可能性が十分にありえる、というのは、「売っている」と、助詞「に」と「で」との使われ方に着目することでも裏付けられます。

まず、場所に「に」または「で」のどちらを用いるかについてですが、簡単に言うと「存在する場合は『に』、動作をする場合は『で』」となります。

  • 駅前にコンビニがある。
  • 公園でサッカーをする。

このように、存在する場所を表す場合は「に」、動作をする場所を表す場合は「で」を使います。

さて、「売る」の場合は本来動作のはずですので、「で」を使うのが適切です。

  • コンビニでケーキを売る。
  • コンビニにケーキを売る。

この2文を比べると、「コンビニに」のほうは明らかにおかしいことが分かります。(なお、業者がコンビニにケーキを卸している場面が想像できるかもしれませんが、この場合の「に」は「場所」ではなく「相手」です。)

しかし、「売る」を「売っている」にするとどうでしょうか。

  • コンビニでケーキを売っている。
  • コンビニにケーキを売っている。

もちろん人によると思いますが、「売る」の時に比べて、違和感が少なくなっているのではないでしょうか。

いろいろな文で考えてみましょう。

  • コンビニで/にケーキを売っている
  • ケーキはコンビニで/に売っている。
  • ケーキはコンビニでも/にも売っている。
  • ケーキはどこで/どこに売っていますか。
  • ケーキはどこでも/どこにも売っていない。

どうでしょうか。特に最後の文は、「どこにも」のほうがしっくりくる人も多いのではないでしょうか。

このように、助詞「に」と「で」との使われ方を見てみても、「売っている」が「存在している」ととらえられている可能性が高く、したがって

  • コンビニで/にケーキが売っている

といった「~が売っている」の文も許容されやすくなっているのではないかと思われます。

「ドラえもんの映画がやってるよ」は?

実は、「~が売ってる」と同じような現象が起きている動詞に「~がやってる」があります

  • あの映画館でドラえもんの映画がやってるよ。
  • あそこでサッカーの試合がやってるみたい。

「やる」は、なにかを広く「する」という意味を持ち、本来であれば「~をやる」となります。

  • 宿題をやる。
  • 大河ドラマで家康役をやる。
  • 独立して個人でレストランをやる。

したがって、最初の2文も本来は

  • あの映画館でドラえもんの映画をやってるよ。
  • あそこでサッカーの試合をやってるみたい。

としなければなりません。

現象としては「~が売っている」と同じようですが、よく見てみると違うことが分かります。というのも、すべての文で「~がやっている」が許容されるかというと、そうではないからです。

  • 宿題がやっている。
  • 大河ドラマで家康役がやっている。
  • 独立して個人でレストランがやっている。

これらの文は明らかにおかしいことがわかると思います。

そもそも、「する」という意味の「やる」で表される行為は、すべて何か別の言葉で言うことができます。つまり、「やる」は様々な動詞の代わりに使われる、ということです。

ここからわかることは、「~がやってる」の場合は、「~が売ってる」とは違い、受身動詞の代わりであるということです。

  • あの映画館でドラえもんの映画がやってるよ→映画が上映されている
  • あそこでサッカーの試合がやってるみたい→試合が行われている

このように、動作主をはっきりさせずに客観的な言い方にした方が適している文脈においては受身動詞が使われますが、その受身動詞の代わりに「やる」が用いられたため、「~がやっている」という文が出来上がったというわけです。

その証拠に、受身動詞が使われる文脈においては、「~がやる」も許容されます。(「~がやっている」より許容度は落ちるかもしれません。)

  • 来週からドラえもんの映画がやるみたい。
  • 明日このスタジアムでサッカーの試合がやるみたいだよ。

そして、「宿題をする」のような、そもそも受身動詞を使わない文脈においては、「~がやる」も「~がやっている」も許容されない、というわけです。

まとめ

さて、ここまで「あ、りんご飴が売ってるよ!」といった文を例にとり、「~が売っている」について考察してきましたが、

  • 「~が売っている」は、「売っている」を「存在している」ととらえているがゆえに、「~がある」と同じように「が」を使っている可能性が高いこと、
  • それは、「~に売っている」が許容されることからもわかること、
  • 「~がやっている」は別の現象であると考えられること

がわかりました。

もちろん、「~が売っている」なんてそもそも許容できない、変な日本語だ、と思う方もいるでしょう。語感は人によって違います。

ただ、発話者が日本語学習者でも母語話者でも、その文法が生成されるのには必ず理由があるはずです。その理由を紐解いていくことも、日本語教育において大切なことではないかと考えています。

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