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ことばを分析する┃「増やせてあげられたかな」の可能表現と補助動詞

ロックバンド「ポルノグラフィティ」が2004年に発表した『黄昏ロマンス』という曲をご存知でしょうか。
この曲では、人生を1日にたとえ、黄昏に向かってゆくなかでの、「僕」の「君」への想いが歌われています。
そのなかに、「僕」が年老いた頃を想像し、時を振り返りながら心の中で「君」に問いかけることばがあります。

   君にとっての幸せが いったいどこにあったのか
   ひとつくらいは 増やせてあげられたかな…

素敵なことばです。おだやかに人生を寄り添い生きている老夫婦を想い描いているのでしょうか…
もう十何年、何十回何百回とこの曲を聴きました。カラオケで歌ったこともあります。初めて聴いた時と詩曲の感じ方も変わり、最近改めてライブで聴いた時には涙したほどです。素敵な曲だなあ…

って、あれ?
「増やせてあげられた」って、なんか変じゃない?

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「違和感」との出会い

なぜこのような話をしたかというと、私が実践している「日常の中でことばを分析する」ということをお伝えしたいと思ったからです。

日本語教師として働いていると、学習者が産出する、さまざまなことばの「違和感」に出会うと思います。その違和感にたいして、なぜそう感じたのか、どうすれば違和感がなくなるか、すぐに解明できれば、訂正するしない含めすぐに対応できます。しかし、「なんだか変だなあ」と思った時、その場でパッとその違和感の正体を解明できないと、そのまま流れてしまったり、「この言い方は正しいか」と聞かれても、うまく答えられなかったりしてしまいます。
そういったことを少なくするために、私が日々しているのが、日常生活の中でことばを分析するということです。
上記の歌詞についても分析してみたので、その結果をお伝えしたいと思います。

※はじめに断っておきますが、この記事に「この歌詞は日本語が間違っているから駄目だ」などと批判する意図は全くございません。また、専門的な研究でもございません。あくまでも「ことばの違和感を分析する」趣旨であることをご理解ください。

増やせ て あげ られ た

まずは、「増やせてあげられた」を分解してみましょう。なお、細かい品詞の議論はここでは置いておきます。

増やせ:可能動詞「増やせる」
て  :接続助詞
あげ :補助動詞「あげる」
られ :可能の助動詞「られる」
た  :過去や完了、存続の助動詞「た」

このようにフレーズを分解することで、どこに違和感があるのかを探し出しやすくします。

では早速、違和感の正体を探っていきましょう。

可能が2つ?「~てあげる」の制約?

2つの「可能」の要素

この「増やせてあげられた」の違和感に気付いたとき、まず思ったのは「可能の意味をもつことばが2つあるから違和感があるのではないか」ということでした。

先ほどのフレーズの分解でもわかったように、「増やせてあげられ」の部分は、可能動詞「増やせ(る)」に、助詞「て」と補助動詞「あげ(る)」がついて授受表現を作り、さらに可能の助動詞「られ(る)」がついた形となっています。つまり、「可能動詞」と「可能の助動詞」の2つの要素が入っているのです。
この点について、例文をもちいながら詳細に分析していきます。

「増やせてあげられ(た)」に限らず、「可能動詞+て+あげ+られる(可能の助動詞)」と2つの可能の要素があると、許容できなくなります。以下に例を見てみましょう。(*は非文(許容できない文)を表します)

*a. 書けてあげられる
*b. 行けてあげられる
*c. 食べられてあげられる
*d. できてあげられる
*e. 来られてあげられる

補助動詞を別のものにした例も見ておきます。

*f. 増やせてもらえる
*g. 増やせておける
*h. 増やせてみられる

なお、上記はどれも可能動詞をふつうの動詞にすれば、以下のとおり許容できるようになります。

a’. 書いてあげられる
b’. 行ってあげられる
c’. 食べてあげられる
d’. してあげられる
e’. 来てあげられる
f’. 増やしてもらえる
g’. 増やしておける
h’. 増やしてみられる

もちろん、「て」のうしろから可能の要素を取っても、たとえば「書いてあげる」「増やしてもらう」となり、許容できます。

では、可能動詞はそのままに、「て」のうしろの可能の要素のみを取った場合、どうでしょうか。

*a’’. 書けてあげる
*b’’. 行けてあげる
*c’’. 食べられてあげる
*d’’. できてあげる
*e’’. 来られてあげる
*f’’. 増やせてもらう
*g’’. 増やせておく
*h’’. 増やせてみる

このままでは、やはり許容できません。ということは、「増やせてあげられ(た)」は、可能の要素が2つ、ということ以外に、可能動詞と「て+あげる」との組み合わせにも違和感の正体がある、ということが考えられます。

「~てあげる」と無意志動詞

では、次に可能動詞と「て+あげる」がどうして共起できないかを考えてみます。

「あげる」は、接続助詞「て」をともなって動詞に接続し、授受表現を作る補助動詞です。授受表現とは、物や行為を与えたり受けたりすることを描写する表現ですが、「あげる」はそのうち物や行為を「与える」という視点から描写したものです。
さて、この「あげる(物や行為を与える)」という行為ですが、非常に意志的な動作です。意志を持たずになにかを「あげる」というのは、少々考えにくいです。一方、可能動詞は一般的に無意志動詞とされています。なにかが「可能だ」というのは、意志でどうにかなるものではないということでしょう。

意志動詞・無意志動詞について、詳しく知りたい方はこちら

実は、ここにも「増やせてあげられた」の違和感の正体が隠れているのではないかと考えられます。この点についても、例を見ながら分析してみましょう。

先ほど見たように、「可能動詞+て+あげる」は許容できません。

*a’’. 書けてあげる
*b’’. 行けてあげる
*c’’. 食べられてあげる
*d’’. できてあげる
*e’’. 来られてあげる

また、「て+あげる」以外の意志的な動作をあらわす「て+もらう」「て+おく」「て+みる」などの「て+補助動詞」も、可能動詞のあとにくることができません。

*f’’. 増やせてもらう
*g’’. 増やせておく
*h’’. 増やせてみる

では、可能動詞以外の無意志動詞に「て+あげる」をつけるとどうでしょうか。

*i. (雨が)降ってあげる
*j. (水が)出てあげる
*k. 育ってあげる
*l. (カギを)なくしてあげる

どうでしょう。やはり、許容できないと思います。つまり、「て+あげる」は非常に意志的な動作のため、「無意志の動作を意志的に行う」というところに矛盾が生じ、許容できなくなっているのではないかと考えられます。

ここで、もうひとつ別の補助動詞、「て+しまう」についても分析してみます。「て+しまう」はいくつか意味がありますが、ここでみるのは「残念な(または、嬉しい)気持ち」を表す「て+しまった」で、無意志的な表現です。この「て+しまった」の前に、無意志動詞がくる例をいくつか見てみましょう。

a’’’. 書けてしまった <例:エクセルを使ったらグラフが簡単に書けてしまった。>
f’’’. 増やせてしまった <例:経済に詳しくない私でも、投資でお金が増やせてしまった。>
i’. (雨が)降ってしまった
j’. (水が)出てしまった
k’. 育ってしまった
l’. (カギを)なくしてしまった

このように、補助動詞が無意志的であれば、可能動詞などの無意志動詞が前にくることができます。最も、これは無意志的な補助動詞の前が必ず無意志動詞である、ということを示しているわけではありません。しかし、補助動詞が意志的か無意志的かで、前にくる動詞の制限が変わることがある、ということは言えそうです。

分析のまとめ

「増やせてあげられた」の違和感の正体について、分析の結果をまとめます。

①可能動詞「増やせ(る)」と、可能の助動詞「られ(る)」、二つの「可能」の要素が入っている
②「増やせる」という無意志動詞、「て+あげる」という意志的な補助動詞の前にきている

ほかにもまだあるかもしれませんし、専門的な先行研究にあたったわけではないので確実なことは言えませんが、以上が私なりの分析でした。

違和感を覚えなかった理由と作詞者の気持ち

実は、この「増やせてあげられた」に違和感を覚えたのはつい最近のことです。十何年、違和感なく聴いたり歌ったりしていました。
最後に、なぜ違和感を覚えなかったのか、またこのフレーズに込められた作詞者の気持ちを、考えてみたいと思います。

違和感を覚えなかった理由

まず違和感を覚えなかった理由について、推測の域を出ませんが、たまたま「増やす」の可能動詞「増やせる」が、日本語教育でいうところのⅠグループの動詞の使役形に似ていたからではないかと思います。

Ⅰグループの動詞の使役形は、ご存知の通り「書く」なら「書かせる」、「行く」なら「行かせる」と、辞書形のウ段の音をア段に変え、「せる」をつけることで作ることができます。「増やせる」も「ア段+せる」ですので、使役形と似ているといえるでしょう。(なお、「増やす」の使役形は「増やさせる」です。)
そして、使役形は「て+あげる」につけることができます。また、その「あげる」に可能の助動詞「られる」をつけることも問題なくできます。例えば、「書かせてあげられる」「行かせてあげられる」などです。
「増やせてあげられる」は、これらの形と類似しているため、私も特に違和感を覚えることなく長年聴いていたのではないかと考えられます。これがもし「書けてあげられる」や「行けてあげられる」であればすぐに違和感を覚えたと思いますし、そもそも産出されにくい表現ではないかと思います。

作詞者のきもち

次に、このフレーズに込められた作詞者の気持ちを考えてみたいと思います。この「増やせてあげられた」という表現は、偶然うまれたのか、はたまたなにかしらの効果を期待し意図的に作ったのかは、作詞者にしかわかりません。

ここで一度、歌詞全体に戻って考えてみます。この歌は、今まで見てきたように「僕」が「君」と過ごす日々のなかで、「君」にとっての幸せを、「僕」は増やせたか、増やしてあげられたか…という想いがつづられています。
そして、そのほかの部分でも、「君のすべて わかってあげたい」や、「君が話す全部に 頷けるように」など、「僕」が「何かをしてあげたい」「できるようになりたい」という想いであふれています。
その強い想いが、「増やせてあげられた」という、「可能+可能」そして「可能+てあげる」という表現として表れたのではないでしょうか。

おわりに

以上、ポルノグラフィティの『黄昏ロマンス』という楽曲の歌詞の一部を用いて「日常の中でことばを分析する」ということをお伝えしてきました。分析の対象は、身の回りにたくさんあります。「あれ、これは?」と思うものがあったら、すこし立ち止まって考えてみると、きっと面白い発見があると思います。

ポルノグラフィティとは?
岡野明仁(vo.)と新藤晴一(gt.)からなる日本のロックバンド。1999年に『アポロ』でメジャーデビュー。2019年にはデビュー20周年を迎え、東京ドームで2日間のライブを開催し約10万人を動員した。

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