多くの日本語教育機関ではみんなの日本語(以下、みん日と表記)を教科書として採用しています。教科書は様々ある中で、なぜみん日が選ばれるのでしょうか。
全ては昔に決着していた
みん日はとにかく発行が早かったのです。これに尽きると言っても過言ではありません。他にも教科書は発売されていましたが、みん日の圧倒的な副教材の量もあり、他出版社は完全に出遅れてしまったのです。
日本語学習者に日本語を教える機関も、日本語教育者に日本語を教える機関も、“最初に”みん日を採用するしかなかったのです。
新人が入りやすい
だいたいどこの日本語教師養成機関(養成講座、大学、専門学校等)でもみん日を採用していますが、これは日本語教育機関の多くがみん日を採用しているから、それに合わせて養成でもそうしているのです。
図にすると以下のような関係になります。
要するに、日本語教育機関がみん日で教えているから養成機関も新人が入りやすいようにみん日を採用し、養成機関がみん日で教えているから日本語教育機関も新人が入りやすいようにみん日を採用するという関係が成り立っているのです。
後から変えにくい
日本語教育機関では歴史の長い学校ほどストックがあります。
ストックとは、配布物(授業中実施のプリントや試験)のことで、学習者の進学指導や毎日のスケジュール作成に追われている学校がこれに手を加えることはあまりなされません。「忙しいからできない」が正当な理由とは思いませんが、それでも現場は精一杯頑張っていて、手が回らないのです。
そして、このストックは、全て教科書準拠で作っているので、教科書を変えるということは、これらほとんどのストックを廃棄し、新しい教科書に準拠して作り直すということになります。
1年歴史のある学校なら1年分を、10年なら10年分、30年なら30年分のストックを廃棄する決断を誰が下せるでしょうか。一非常勤が、一常勤ができるでしょうか。たとえ、教務主任だとしても、その決断は多くの教師、特に常勤からの反感を買います。
1版から2版への移行も遅かった
みん日は現在1版と2版がありますが、この版の移行も各学校非常に遅く、大変消極的でした。理由は上述の通り、「忙しいから」です。版が変わるだけですが、配布物に手を加える作業は膨大で、どの学校も2版が出た頃は全く何もせず、しばらく1版のままでやっていましたし、2版に移行しても、配布物は1版のものを使っていたりと、怠惰と言われても仕方のないことを続けていました。
版の移行ですらこんな状態です。教科書が変わるなんてことになったら、学校がどうなるか、想像もできません。
まとめ
私自身、みんなの日本語の教案や語彙リスト等々、当サイトで公開しているので発言が矛盾しているようですが、私は別にみん日が悪い本だと言っているわけではありません。これだけ選ばれるのにはちゃんと理由もあります。歴史があるということは、そういうことです。
しかし、今のこの業界に溢れるみん日優勢の雰囲気には少し疑問があります。
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