「みたいに」が多義文になる条件┃「みたいな」との用法の違いと「ように」との比較

あるドラマで、高卒の工場長が自分よりも学歴の高い新人に

「私は君みたいに学がない」

と嫌味を言っていたのを聞いて、ん?と思いました。

工場長は新人の方が頭がいいと言いたかったはずなのに、これだと「私も君も学がない」、つまり工場長と新人が同格になってしまう。正しくは「私は君みたいな学がない」だ。

という話をあきさんにしたら、「私は学がないけど君はある」とも取れるから問題ない、と反論されました。そこで、「私は君みたいに学がない」は多義文ではないかという仮説を立て、ツイッターでアンケートを実施しました。以下がその結果です(表示されない方は何度かページを更新してみてください)。

アンケート結果からも、「私は君みたいに学がない」という文は、「私も君も学がない」とも「私は学がないが君はある」とも解釈できる多義文の可能性が高い、ということがわかりました。

ではなぜ「私は君みたいに学がない」は多義文になるのでしょうか。

※当ページはカキアゲとあきさんの共著です。

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「みたいに」と「みたいな」

まず、「みたいに」と「みたいな」との違いを考えてみます。

「みたいに」と「みたいな」の違いは、「みたいに/な」がどこにかかっているか、ということです。簡単に言えば、「みたいに」は「みたいに」以降の述部にかかっていて、「みたいな」は「みたいな」の直後の名詞(句)にかかっています。以下に例文をあげて説明します。


a.私はカキアゲ先生みたいに先生になりたい。
b.私はカキアゲ先生みたいな先生になりたい。

aでは「みたいに」は「先生になりたい」という述部にかかっています。ですから、私の希望は「先生になりたい」であって、カキアゲ先生に類似する先生になりたいかどうかはわかりません。一方、bでは「みたいな」が「先生」にかかっています。ですから、私は「カキアゲ先生に類似する先生」になりたい、ということになります。


a.高橋さんはアインシュタインみたいに頭がいい。
b.高橋さんはアインシュタインみたいな頭がいい。(✕)

aでは「みたいに」は「頭がいい」にかかっています。しかし、bでは「みたいな」は「頭」にしかかかりません。「アインシュタインみたいな頭」が「いい」というのは意味が通りません。

なお、「みたいな」は直後に名詞(句)が必ず来ます。以下の例で確認してください。


a.この野菜は果物みたいに甘い。
b.この野菜は果物みたいな甘い。(✕)
c.この野菜は果物みたいな甘い味がする。

そして、「みたいな」を使った文は、述部が肯定でも否定でも多義文になりません。したがって、


a.私は君みたいな学がある。
b.私は君みたいな学がない。

この二つの文では、どちらも「君と同じ程度の学」について、aは「ある」、bは「ない」という解釈しか生まれません。

「みたいに~(肯)」と「みたいに~(否)」

次に、「みたいに~(肯)」と「みたいに~(否)」について考えます。見やすくするために、述部が肯定、否定の文をそれぞれ(肯)と(否)と表すことにします。

「みたいに」を使った文では、「みたいに~(否)」の文のみ多義文になります。以下の例で見てみましょう。


a.鈴木君はグエンさんみたいにかっこいい。
b.鈴木君はグエンさんみたいにかっこよくない。

aは「鈴木君もグエンさんもかっこいい」という解釈しか生まれません。一方bは、「鈴木君」は「かっこよくない」というのははっきりしているものの、「グエンさん」は「かっこいい」「かっこよくない」二通りの解釈が生まれます。

他にも同じような例を挙げておきます。


a.A定食はB定食みたいに安い。
b.A定食はB定食みたいに安くない。
 (B定食は「安い」「安くない」の二通り)


a.私の自転車は友達のみたいにきれいだ。
b.私の自転車は友達のみたいにきれいじゃない。
 (友達の自転車は「きれいだ」と「きれいじゃない」の二通り)

このように、「みたいに~(肯)」は多義文にはなりませんが、「みたいに~(否)」は多義文になることがわかります。

「みたいな~(否)」に関する考察

ここから、「みたいな~(否)」という文が多義文になる条件について、「常識」と「既知の情報」という観点から考えてみます。

「常識」

まず、次の例文を見てください。

a.クジラは魚みたいに卵を産まない。

どうでしょうか。これは「クジラは卵を産まない。魚は産む。」という解釈しかできないのではないでしょうか。では、次の文はどうでしょう。

b.クジラはヒトみたいに卵を産まない。

これは「クジラは卵を産まない。ヒトも産まない。」という解釈しかできないと思います。最後に、次の文はどうでしょうか。

c.クジラはバッキャみたいに卵を産まない。

バッキャ、というのは私が創った架空の動物です。この場合、「クジラ」は「卵を産まない」というのははっきりとしていますが、「バッキャ」は「卵を産む」とも「産まない」とも解釈できると思います。

もう一度以下に例文を整理します。〇は「卵を産む」、✕は「卵を産まない」を表します。

a.クジラは魚みたいに卵を産まない。(クジラ✕、魚〇)
b.クジラはヒトみたいに卵を産まない。(クジラ✕、ヒト✕)
c.クジラはバッキャみたいに卵を産まない。(クジラ✕、バッキャ〇/✕)

なぜ同じ「~みたいな(否)」でもこのように解釈のゆれが生まれるかというと、「常識」が解釈に影響を与えているからではないかと思われます。つまり、「魚は卵を産む」「ヒトは卵を産まない」というのは常識なので、逆の解釈が生まれにくい、ということです。一方、「バッキャ」のような架空の動物の場合は常識が影響を与えないため、どちらの解釈も生まれると考えられます。

「既知の情報」

次は「ドラえもん」の登場人物である、出木杉君を用いた例文です。出木杉君はその名の通り勉強も運動も何でもできる男の子です。

a.ぼくは出木杉君みたいに頭がよくない。

これは「ぼくは頭がよくない。出木杉君は頭がいい。」という解釈です。

b.ぼくはのび太君みたいに頭がよくない。

のび太君は、いつもドラえもんに助けてもらっている勉強が苦手な男の子です。これは、「ぼくは頭がよくない。のび太君もよくない。」です。

c.ぼくは田中君みたいに頭がよくない。

これはどうでしょうか。「田中君」という名前の人は大勢いますが、この文中の田中君がどの田中君を指すのかは、私も含め誰にもわかりません。こうなると、「ぼく」は「頭がよくない」ですが、「田中君」は「頭がいい」「頭がよくない」二通りの解釈ができると思います。

こちらも例文を整理します。〇は「頭がいい」を、✕は「頭がよくない」を表しています。

a.ぼくは出木杉君みたいに頭がよくない。(ぼく✕、出木杉君〇)
b.ぼくはのび太君みたいに頭がよくない。(ぼく✕、のび太君✕)
c.ぼくは田中君みたいに頭がよくない。(ぼく✕、田中君〇/✕)

これも先ほどの「常識」と同じように、「既知の情報」が解釈に影響を与えていると考えられます。つまり、「出木杉君は頭がいい」「のび太君は頭がよくない」ということを知っているため、逆の解釈は生まれにくい、ということです。そして、田中君については情報がないため、どちらの解釈も生まれるのです。

考察

「AはBみたいに~(否)」という文では、常識や既知の情報から、

Bについては「~(否)」が言えないということを知っていれば、
Aは【~(肯)である】Bみたいに~(否)。
という含意が生まれる、と考えられます。

反対に、

Bについても「~(否)」が言えるということを知っていれば、
AはBみたいに~(否)。
と文字通り解釈するようになり、上記のような含意は生まれません。

先ほどの例文を使って考えると、

クジラは【卵を産む】魚みたいに卵を産まない。
ぼくは【頭がいい】出木杉君みたいに頭がよくない。

となります。

そして、Bについて常識や既知の情報がなければ、「~(否)」が言える可能性も言えない可能性も考えられるため、多義文になるのではないでしょうか。

まとめ

このように、「AはBみたいに~(否)」という文では、常識や既知の情報の有無で多義文になるかどうかがかわってくることがわかりました。

最初の工場長と新人の例に戻ります。「私は君みたいに学がない」という文について、特にTwitterで初めて目にした人は「君」についての情報がありません。しかし、一般的に考えて「君に学がない」ということをわざわざ口にする人は少ないと思います。実際に、私も初めにそれを聞いた時は「私は学がない。君はある。」と言っていると思いました。そのような理由で、64%の人が「私は【学がある】君みたいに学がない」、つまり「私は学がない。君はある。」と言っていると解釈したのではないでしょうか。

「みたいだ」と「ようだ」の違い

様態(言い方は比況や類似など様々ありますが)の用法では意味は同じですが、細かい違いがあります。

まずは当たり前ですが、接続が違います。

次に、かたいかやわらかいの問題です。「ようだ」は「みたいだ」よりもやわらかく、日常使われ、口語的です。

最後に、慣用句(的な)表現で「ようだ/な/に」が使われている場合、「みたいだ/な/に」との入れ替えが難しいです。逆も然りです。

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