学校で教えてくれない「間投助詞」の用法とは?

“あのさぁ、私ねー、今日からさぁ、ここにさ、文章をさー、書くことにさ、したんだ。”

はじめまして、花猫です。

突然ですが、いちばん上に書いた文章の印象は、いかがでしたか。

なんだか浮ついた、“rude”な奴だと思いましたか?

つい最近、同僚のA先生から、こんな質問を受けました。

「花猫さん…。“さ”って、何だと思いますか?」

私、しばし間。

「“さ”って…、終助詞の“さ”ですか? 沖縄方言で多用されているような…?」

いかにも自信なさげな返答だったと、自分でも思いますが。

A先生は続けました。

「いいえ、そうではなくて、言葉の途中に出てくる、“あのさー”とかの、“さ”です。あれって、何なのでしょう?」

いわく、学生からそういう質問があり、書籍を数々当たってみたけれども、明確な説明や指摘を見つけられなかったそうで。

私も付け焼刃、にわか知識で、考えを巡らせてみると、

「うーん、私が使う場合なら…、『自分に起きたことを伝えたい気持ちが、とにかく強いとき』、“さ”に気持ちを込めて言っているかもしれません」

 「気持ちを強調するってことでしょうか?」

「たとえば、『きのうさぁ!渋谷でさぁ!財布をとられそうになってさぁ!』とか…。気持ちが溢れ出てくるときに、“さ”に、思いを込めている!…かも…。」

「ああ、そうですか…。じゃあ、学生には、『気持ちを強調したいとき』というふうな説明を、してみます。」

お互いに、わかったようなわからないようなムードで、その場は終わったんですが、のちに詳しく調べてみると、

1.“さ”は「間投助詞」である。文節の区切りと接続詞の後に挿入する。

  ほかに、“ね” や “よ”、“な”(男性言葉)がある。

2.「注目強制」の働きを持つ。つまり、ことさら相手の注意を引きたい場合に発話される。そのため、独り言には用いられない。「強制」のニュアンスを持つため、丁寧な話し言葉や、比較的客観的な理由を述べる場合の「ので」「ために」の後ろに付けられることは少ない。一方、「だからさ、…」や目的の「ために」(「早く行くためにさ、タクシー捕まえたんだ」)、不満の「のに」など、主観的要素が強い場合は多用されている。

3.日本語教育では、品詞の一つとして把握しておくべきではあるが、学習項目として扱われることはまれである。

 (しかし、日本語母語話者は、確かに非常によく使っているため、今回のように、学習者がその接触場面において疑問に感じるであろうことは、当然だと思う。

 とはいえ、大半は文脈からおおまかにニュアンス理解し、深い意味はなさそうと捉え、教師に確認するまでもなく、日本人の話し方として自然にイミテイトして、身に付けているのだろう)

A先生から質問を受けたときに、ここまですらすらと説明できていたら…!

本当に、まだまだ、永久にアマチュアのボンクラ花猫。。。

さて、

ここまで用法を整理したところで、ふと脳裏をよぎったのは、とある大学教授が面と向かって私に放った、矢のような一言です。

それは、数年前、私が自然言語としての日本語の話し言葉をどのように収集するか模索していたときのこと。

「あなたねぇ…。フィラーとかあいづちなんてものは、音声にして聞かされると、

雑音でしかないの!みんな、編集で消してるのよ。ラジオだって全部そうよ。

聞き苦しいじゃない? そんなものを集めて、学習者に聞かせてどうしようっていうの。

きれいな話し方を身に付けさせたいなら尚のこと、わざわざ取り上げて、聞かせる必要ってあるのかしら。」

一刀両断! スパッ!

こうして、私は更に、日本語の泥沼にはまっていったのだなあと…。

「真の日本語のプロ」を目指し、これからも奮闘しますので、皆様、お手柔らかによろしくお願い致します!

コメント

  1. 最後の「とある大学教授が面と向かって私に放った、矢のような一言」こそ
    間投助詞のオンパレードであることに気づきましたか?
    「そうよ」「のよ」といったように、名詞述語文なら本来「だ」を付けるものが、
    「だ」を抜くと文末の形ではなくなるので「間投助詞」なんです。